LINK146号広報委員会リレーエッセイ1 『歓びの歌』

歓びの歌

久留米あかつき幼稚園

理事長 藤田喜一郎

 毎年暮れになると、日本各地でベートーベン作曲の交響曲第九番「合唱付き」が上演されます。年末に演奏するのは日本独特の風習ですが、国連主催のコンサートでは、必ずと言っていいほどこの「第九」が演奏されます。

ベートーベンは1770年ドイツのボンで生まれました。父親は(売れない)音楽家でしたが、自分の子どもに音楽の英才教育(それもスパルタ式の)を与え、その才能が開花すると「神童」、「モーツァルトの再来」として、我が子をお金のために売り出します。現代なら「児童虐待」で訴えられるレベルです。

青年となったベートーベンは、親から自立して「音楽の都」ウィーンに出て行きます。まずはピアニストとしてデビューし、社交界でも知られるようになり、その後作曲家としても成功します。しかし、好事魔多し。音楽家として何よりも大切な聴力が徐々に衰えていき、一時は自殺さえ考えたようです。でも私は思うのです。耳が聞こえなくなるのも悲劇ですが、視力を失うよりも良かったのではないかと。なぜなら目が見えなければ、楽譜に音符を書き込む作曲が出来なかったからです。ともあれ、その後ベートーベンは世を去るまで傑作の数々を遺していきました。

 さて「第九」の話。よくご存じのあの「歓びの歌」のメロディーは、ベートーベンにしても、とっておきの特別な旋律だったのです。証拠としては、第九作曲の随分前のスケッチブック(下書き)にその旋律は書かれていましたし、完成した第九交響曲の第四楽章において、その旋律がいよいよ姿を現すのですが、チェロ・コントラバスの低音楽器の演奏に始まり、弦楽の中音楽器、高音楽器と続き、最後にオーケストラ全体で演奏されます。一つの主題(メロディー)を続けざまに四度も繰り返すのは、他の作品には有りません。それくらいベートーベンのお気に入りだったのでしょう。この第九の最大の特色は、人の歌声が入った世界初の交響曲、ということです。その歌詞に「兄弟たちよ、世界は一つになる」という部分がありますが、私はこの思想にベートーベンは共感したのだと思います。

 今年第九の演奏会に行けない方は、12月31日午前11時からのドリームスFM(76.5)の私の番組(クラシックをあなたと)でも放送しますので、お聴き下さい。

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